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2011/7/15

こんにゃくに秘められたドラマ!  フェアトレード

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“ぷるんぷあん”に込められた
戦争を二度と起こしてはいけない
というメッセージ。

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インドネシアで“女性”を意味するぷるんぷあん
インドネシアに野生するムカゴこんにゃく芋を原料に作られている乾燥糸こんにゃくです。
25g×10個の小分けなので無駄がなく、熱湯に5,6分浸せば調理できるという優れもの。
クリックすると元のサイズで表示します全く臭みがなく、つるつるとなめらかな食感なので、すき焼きや煮物はもちろん、炒め物や酢の物、サラダにも使えます。
そんな便利で食物繊維たっぷりの便利食材ぷるんぷあんには、大河ドラマにも匹敵するような一人の男性の物語が背景にあります。

1945年、インドネシアで敗戦を迎えた近衛騎兵の石井正治さんは、部下を引き揚げ船に乗せるために、自ら人質として戦地に残りました。日本からも見捨てられた残留兵たちには、さらなる過酷な運命が待っていました。1947年、オランダからの独立戦争のためインドネシア兵として前線に送られたのです。
そうして、生き残った石井さんの異国での生活は言語に絶する苦労の連続、地を這うような暮らしでしたが、石井さんは履物製造の事業を興し、成功しました。
そこで成し得た財をふたつのことに投入したのです。
無念のうちに戦死した300人余の日本人兵の遺骨をひとりで歩いて集め、スラバヤに立派な《日本人墓地》を作りました。そして経済的に困窮している残留日本兵の援助を続けたのです。クリックすると元のサイズで表示します
もうひとつの夢が、この“ぷるんぷあん”でした。
石井さんは日本から遠く離れた地でインドネシア人として生きつつも、やはり望郷の念は強く、インドネシアと日本の架け橋となるものを作りたいと思いました。
標高500m以上の高地で自生しているムカゴこんにゃく芋は、こんにゃくを食べないインドネシアでは雑草扱いされていましたが、日本では育たない高品質、しかも乾物にできる品種だったのです。
“ぷるんぷあん”の開発には20年近い歳月がかかりました。
芋の栽培・収穫技術(きちんと育てるには3年かかります)や製品化の指導を行い、世界に一つのものを完成させました。
今では100世帯以上の生産農家が収入を得て、子供を中学に進学させられるようになりましたが、当初日本への輸出は簡単ではありませんでした。
インドネシアで通訳をしていた石井さんの友人が、涙ながらに語る石井さんの熱い思いに感動し、「日本にこの乾燥糸こんにゃくを広げたい」と協力を決意したのですが、帰国後にその友人は末期がんの余命宣告を受けることに…。
インドネシアを共に旅した娘の智子さんが、お父さまの意思を継いで会社を起こしました。社名は、最初にムカゴこんにゃく芋が見つかった場所≪トレテス≫です。
ところが事務所を開いた宝塚は、4ヵ月目に阪神淡路大震災に見舞われます。
智子さん自身も被災しましたが、仲間と共にボランティアに奔走しました。リサイクルの家電を届けて回ったのです。その活動資金は、全国の友人たちの口コミにより買ってくれたぷるんぷあんの売上です。
その後、その時の支援者たちからの注文がくるようになり、「生協や学校給食で扱いたい」「石井さんのお手伝いをしたい」という声や「福祉作業所で仕事を探している」という話から袋詰めの仕事をお願いするなど、活動はどんどん広がりました。
今も売り上げの一部は、三宅島の噴火・インドネシアの地震津波、中越地震などの被災地支援に役立っています。
震災の翌年に亡くなった智子さんのお父さん、2002年には石井さんも天に召されました。
お二人の思いと友情は、今もぷるんぷあんに込められています。
戦争がいかに理不尽なものか、誰も幸せにならない戦争というものを二度と起こしてはいけないという願いがこもった、幸せの食材“ぷるんぷあん”で食卓を豊かにしてください。560円で販売しています。

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