映画レビューは “アトリエミシェルの製作&柴犬ブログ”にて更新中。 http://ameblo.jp/atelier-michelle/

2011/10/18

未来を担う砂糖。  フェアトレード

クリックすると元のサイズで表示しますミネラルの詰まった
インドネシア伝統の甘味料
“ハニーココナッツ”
のべ7000人を超える子供たちの
進学を援助しています。


ハニーココナッツ(以下“ハニココ”)は、ココ椰子のつぼみから採れる花序液を煮詰めただけの純粋な甘味料です。樹木の成長に必要なミネラルをたっぷりと含んでいます。
上白糖や蜂蜜に比べてカルシウム、カリウム、マグネシウム豊富で、代謝活動に必要な酵素を作る亜鉛もたっぷりのすぐれモノ。また、ものを食べた時の血糖値の上昇割合を示すGI値(グリセミック指数)がブドウ糖の100に対してハニココは35!黒砂糖の90以上に比べてもかなり低い数値です。
ハニココは、普通の砂糖に比べてやさしい甘さ、飲み物に加えると特にそのまろやかさがはっきりとわかります。バタートーストやヨーグルトにふっておいしさをそのまま味わうこともでき、調理に使えば料理やお菓子の味が引き立ちます。
クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますハニココは、インドネシアのクーロンブロゴ県で、伝統製法によりすべて手作業で作られています。10年以上経って花をつけてきた椰子の木に、男性が1日2回手足だけで登り花序液を採取し、それをすぐに女性が濾過して、じっくりじっくり煮詰めます。結晶化直前で火から下し、冷ましながら混ぜ、固まる前にふるいにかけ、粒の大きさを揃えてできあがりです。栄養や製法について詳しくは↓是非こちらをご覧ください。
http://www.geocities.jp/yasizato/seibun.htm

クリックすると元のサイズで表示します伝統の甘味料を復活させたのは、一人の青年ジョニーです。有能なビジネスマンであり敬虔なクリスチャンである彼は、休日のたびにスラムを回って子供たちに学用品や本をプレゼントし、教育を受けさせたいと思う有望な子供には学費や生活費を援助していました。ですが、子供たちの数があまりにも多く、ポケットマネーでは賄いきれなくなりました。そこで、奨学金を拠出するために考案したのが現地の人々によるハニココ製造の事業です。クリックすると元のサイズで表示します
日本での協力者を得て、1998年から販売を開始。これまでの13年間で支援した児童の数は延べ7207人になるそうです。 それでも、インドネシアにはまだ800万人の学校に行けない子どもがいるとのこと。
1ℓの蜜からできた200gのハニーココナッツ、籠入りで630円です。5色の竹籠も、親から子へ受け継がれてきた伝統のクラフト品です。

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2011/8/13

社会に貢献するカレー!  フェアトレード

マリオさんの≪カレーの壺≫クリックすると元のサイズで表示します

ミシェル喫茶室のドライカレーにも2種をブレンドして使っている人気食材 “カレーの壺”。
スリランカの10数種類のスパイスを調合し野菜やお米などを加えて、日本人向きにアレンジしたカレーペーストです。動物性の原材料は一切使用していません。610円(約18皿分)。
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すでに熟成したような美味しさのこのペーストを使えば、誰にでも簡単に本格的なカレー料理が作れます。ココナツミルクを使えば本格的なエスニックカレーができ上がります。マリオさんのココナツミルクは酸化防止剤・漂白剤不使用で、おやつ作りにも最適です。200ml入り300円。
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鶏肉にまぶしてオーブンで焼くタンドリーチキン、ごはんと炒めると風味豊かなカレー炒飯。アイデア次第で料理のレパートリーが広がります。

海外への憧れを抱いていたマリオさんは海外研修のある企業に就職し、念願の来日を果たした際、カレールーを見て衝撃を受けました。スリランカでは主婦が毎食、各家庭のすべての料理のスパイスを調合しなければならず、家事労働の大半を占めていたのです。
帰郷したマリオさんは、カレールーをヒントにスパイスセットを製品化しましたが、’85年当時のスリランカ社会では「そんなもの売れるハズがない」と販売してもらえませんでした。そこで公民館のような場所を借りて自ら売ってみたところ主婦にバカ売れ!大ヒット商品となったのです。
家族5人で始めた工場でしたが、今では工場の職員200人、契約農家は300世帯になりました。クリックすると元のサイズで表示します
家事労働の時間を短縮することで女性の社会進出に貢献しただけでなく、障害者の雇用を促進し、従業員の労働&生活環境を整えることで福利厚生にも取り組んでいます。
農村の開発プロジェクトを立ち上げ、スパイスなどの品質向上や小規模農家の自立支援にも努めています。
また、30年にわたる内戦が終結したスリランカには、戦争という職を失った元少年兵たち(当然もう大人です)が数万人いるそうです。政府やNGOが彼らを社会復帰させようとしていますが、マリオさんは「少年兵から農業起業家へ」というビジョンで、彼らを支援するプランを立てています。
さらに、マリオさんは東日本大震災の被災地に45000食分の≪カレーの壺≫を提供しました。
マリオさんとは、いやはや何ともすごい人物ではありませんか!

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2011/7/15

こんにゃくに秘められたドラマ!  フェアトレード

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“ぷるんぷあん”に込められた
戦争を二度と起こしてはいけない
というメッセージ。

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インドネシアで“女性”を意味するぷるんぷあん
インドネシアに野生するムカゴこんにゃく芋を原料に作られている乾燥糸こんにゃくです。
25g×10個の小分けなので無駄がなく、熱湯に5,6分浸せば調理できるという優れもの。
クリックすると元のサイズで表示します全く臭みがなく、つるつるとなめらかな食感なので、すき焼きや煮物はもちろん、炒め物や酢の物、サラダにも使えます。
そんな便利で食物繊維たっぷりの便利食材ぷるんぷあんには、大河ドラマにも匹敵するような一人の男性の物語が背景にあります。

1945年、インドネシアで敗戦を迎えた近衛騎兵の石井正治さんは、部下を引き揚げ船に乗せるために、自ら人質として戦地に残りました。日本からも見捨てられた残留兵たちには、さらなる過酷な運命が待っていました。1947年、オランダからの独立戦争のためインドネシア兵として前線に送られたのです。
そうして、生き残った石井さんの異国での生活は言語に絶する苦労の連続、地を這うような暮らしでしたが、石井さんは履物製造の事業を興し、成功しました。
そこで成し得た財をふたつのことに投入したのです。
無念のうちに戦死した300人余の日本人兵の遺骨をひとりで歩いて集め、スラバヤに立派な《日本人墓地》を作りました。そして経済的に困窮している残留日本兵の援助を続けたのです。クリックすると元のサイズで表示します
もうひとつの夢が、この“ぷるんぷあん”でした。
石井さんは日本から遠く離れた地でインドネシア人として生きつつも、やはり望郷の念は強く、インドネシアと日本の架け橋となるものを作りたいと思いました。
標高500m以上の高地で自生しているムカゴこんにゃく芋は、こんにゃくを食べないインドネシアでは雑草扱いされていましたが、日本では育たない高品質、しかも乾物にできる品種だったのです。
“ぷるんぷあん”の開発には20年近い歳月がかかりました。
芋の栽培・収穫技術(きちんと育てるには3年かかります)や製品化の指導を行い、世界に一つのものを完成させました。
今では100世帯以上の生産農家が収入を得て、子供を中学に進学させられるようになりましたが、当初日本への輸出は簡単ではありませんでした。
インドネシアで通訳をしていた石井さんの友人が、涙ながらに語る石井さんの熱い思いに感動し、「日本にこの乾燥糸こんにゃくを広げたい」と協力を決意したのですが、帰国後にその友人は末期がんの余命宣告を受けることに…。
インドネシアを共に旅した娘の智子さんが、お父さまの意思を継いで会社を起こしました。社名は、最初にムカゴこんにゃく芋が見つかった場所≪トレテス≫です。
ところが事務所を開いた宝塚は、4ヵ月目に阪神淡路大震災に見舞われます。
智子さん自身も被災しましたが、仲間と共にボランティアに奔走しました。リサイクルの家電を届けて回ったのです。その活動資金は、全国の友人たちの口コミにより買ってくれたぷるんぷあんの売上です。
その後、その時の支援者たちからの注文がくるようになり、「生協や学校給食で扱いたい」「石井さんのお手伝いをしたい」という声や「福祉作業所で仕事を探している」という話から袋詰めの仕事をお願いするなど、活動はどんどん広がりました。
今も売り上げの一部は、三宅島の噴火・インドネシアの地震津波、中越地震などの被災地支援に役立っています。
震災の翌年に亡くなった智子さんのお父さん、2002年には石井さんも天に召されました。
お二人の思いと友情は、今もぷるんぷあんに込められています。
戦争がいかに理不尽なものか、誰も幸せにならない戦争というものを二度と起こしてはいけないという願いがこもった、幸せの食材“ぷるんぷあん”で食卓を豊かにしてください。560円で販売しています。

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2011/7/1

奈良からのお客さま  フェアトレード

学生時代の思いを40年越しで行動に!
アフガン孤児支援のラーラ会はまさしく
『“思い”は見えないけど“思いやり”は…』のCMが示すもの


クリックすると元のサイズで表示しますミシェル喫茶室の店頭がショールーム&ショップに生まれ変わりました。以前からレジカウンター上では、人の思いが形になった食品をいくつか扱っておりましたが、やっと店頭にガラスショーケースを置き、できるだけ多くの人に知ってもらいたい製品を、その開発ストーリーと共に紹介していくスペースに生まれ変わりました。
そして先日、奈良から待望のお客さまがお見えに! 数年前に、前職で編集したフェアトレード食品企画の誌面を見て連絡をいただいていた、アフガニスタンの孤児を支援しているNGOの代表・柄子さんです。この方の決断・実行の速さには目を見張ります。

柄子さんはキリスト教系の大学を卒業後に海外青年協力隊として2年間マレーシアで日本語を教えた後、結婚して家庭に収まり、その思いだけを抱え続けていました。60歳を過ぎて子育てや介護を終えた時、今からならできる!と、奈良にあるアフガニスタンに義肢を提供するNGOを見つけて手伝うようになりました。2002年スタッフに同行してアフガニスタンを訪問、その瞬間に『ここだ!』と決めたそうです。翌年には単独で訪れて、当時支援の全く行き届いてなかったヘラートでの支援を決断、活動を始めました。それがラーラ会です。
その後の6、7年の間に、口コミで集まった賛同者からの支援金で、物品や通学用バスの寄贈はもちろんのこと、孤児院の新築やさまざまな教育環境を作り、さらに母親(孤児院には親と暮らせない貧しい子供たちも暮らしています)たちの生活の自立のために手仕事センターを作り、職業訓練の場を創設したのです。
貧しい女性の家で、服に施された伝統の刺繍を見て和装の半襟に活かせる!とひらめき、遊牧民に伝わる手織りギリムやカーペット作りで、在宅手仕事支援プロジェクトを開始しました。
ラーラ会は昨年、堺市から平和賞を受賞。ラーラ会HPのニュース↓に、柄子さんたちの思いや活動がわかりやすく書かれています。ご一読を。
http://web1.kcn.jp/lala-afghan/Heiwashou.htm
ミシェル喫茶室の店頭に、その半襟&ギリムを展示しています。技術の確かさ、品質の良さに対して手間賃と材料費程度の価格なので、価値のわかる方には驚きです。
半襟はすでに全種類売約済みで入荷待ちです。



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