今日は父の命日。早や、7年。。。。
家族

と妹を連れて実家の墓参り。
近くて遠い場所です
綺麗に耕地整理された田植え前の田圃を眺めながら、参道を上がると高台の駐車場に。
正面に美しい姿の羽束山や農村地帯また昔友達とよく遊んだ天満宮が眼下に見えます。
昔、毎日眺めていた自然豊かな風景。
あれから、数十年経ちますが、少しも変わっていません。(茅葺の民家が近代風に変わったくらい)
嬉しいことです。
いいことです。
どんな時でも、いつも優しく迎えてくれる羽束山。本当にありがとうね。
駐車場から寺に向かいます。
立派な桜の大木が迎えてくれます。
葉桜も綺麗です。
「興福寺」 (こうふくじ)
・所在地/三田市木器(こうづき)207
アップ<(_ _)>
実家は昔、御旅所として、大名などが利用していたそうで、農民一揆を起こした山田大助が追われて、木器の交戦でわが家も巻き込まれ、鉄砲弾?槍・刀キズの付いて板が実家にありました。
今でも残る家から寺へと続く、山道を逃げ、寺の境内で最後の交戦をし、亡くなったそうです。
本来はこの事件で、わが家も関わった?ということで、家族全員打ち首になるところ、御旅所で世話になっているという大名の厚いご配慮で、お家断絶は免れたそうです。・・・おかげで今の私がいます。不思議な感じです。
(説明板の真ん中あたりに山田大助事件が掲載されています)
昭和49年4月2日に民家からの飛び火で強風にも煽られ、本堂と庫裡が焼失しました。檀家やその他の協力により昭和51年4月に本堂を再建。翌年7月に庫裡が再建される。(私も当時としては、それなりの金額を寄付しました)
本殿と鐘桜の間にカゴノキが植わっています。
鐘桜
火災の2年前に再建されました。焼失しないで本当に良かったです。
この建物の南側の石畳を上がると、檀家の墓地があります。
その中段にある
・兵庫県指定文化財(昭和48年3月9日 指定)
「興福寺石造宝篋印塔」
板碑
風化してほとんど彫り物は読み取れません。
スギの木の下辺りに家の墓があります。
こころ安らぐひと時でした。

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