2015/5/8  22:58

会葬御礼の挨拶文  雑感

先日、岩手まで葬儀で出かけたのですが・・・そのお香典返しが届きました。カタログの中から好きなモノを選ぶ方法の・・・。

今は気の利いたそういうやり方が多いのでしょうか?

それで思い出したのですが・・・葬儀での喪主である親友の会葬御礼挨拶も感動したのですが、会葬御礼のお茶とお塩の袋の中に入っていた挨拶文も・・・開いてビックリの内容でした。

型どおり・・・通り一遍の・・・挨拶文がこれまでほとんどだった私には、かなりの衝撃でした。

彼の人となり・・・最後まで尽くした家族への愛情が迸るようで・・・感極まりました。

対して、父も母もそのような言葉で送ってあげられなかった私は、何と情けなかったのか・・・と後悔しています。

そもそもの人物の大きさと言うか思慮の深さ、人間としての品性と言うか優しい心根・・・それがこんなにもかけ離れている私を親友と言わしめて良いのでしょうか?

私も小さい時から知っている方ですが・・・この文でお父様の人となりが余計に理解できたと感じました。そして幾つもの思い出が・・・遠い昔が甦りました。

こういう文章にすべきだったなあ・・・父と母も。会葬された方の心に思い出を呼び戻してあげられなくてごめんね・・・と父・母・兄に謝りました。

後日のための記録として長いですが全文残して置きます。気が向いたら読んでみてください。

なお親友と言えど私のこのサイトを知りませんから、どんなことをこのブログに書いても彼の目に留まる事はありません。

親友の人となり、彼に教えられた家族を思う心を、純粋に私の心に刻みたいのです。

挨拶文です。

故 佐藤 喜八 儀    行年101歳
葬儀に際しましてはご多忙中にもかかわらずご会葬賜り 且つご鄭重なるご厚志をいただき深く感謝申し上げます

大正4年 佐藤家の長男として旧相去村で生まれ育った父は 戦時中は出兵し戦後はシベリア抑留を経験するなど 激動の時代を逞しく駆け抜け 三男二女と七人の孫 そして六人の曾孫達へと 長い生涯の中たくさんの命をつないでくれました

戦地から帰った後は 役場職員として一所懸命働きながら家庭を守り 一家の大黒柱として私達家族を長年支えてくれました
また穏やかな人柄で 父に厳しく叱られた記憶が殆ど無いほど とても温厚で優しい人でした
定年後は千貫石土地改良区の監事を務めたり 公民館館長や区長を務め 地域の皆様との交流を楽しみながら 穏やかな日々を過ごしていました

大きな病気もせず 九十歳を迎えてもなお元気な父でしたが 平成二十二年に体調を崩してからは 自宅での介護生活となり その後は家族皆で父を支えてまいりましたが
春の陽気に桜が鮮やかに色付く 去る四月二十一日
最後は父らしい安らかな顔で旅立っていきました

別れは寂しいですがー
子供や孫のラグビーの試合で大きな声援を送る姿
大好きな野球中継を観ている時の楽しそうな顔や 本を読むときの眼差し
孫や曾孫達に見せた優しい笑顔など
たくさんの想い出を残してくれた父に「ありがとう」の言葉を添え
高い空へと見送りたいと思います

父の人生を彩り 長年支えて下さった皆様へ
生前に賜った御厚情に感謝し
父になり代わりまして心より御礼申し上げます

平成二十七年四月    喪主 佐藤 某

という内容です。全文お読みいただいた方は、彼の人となりがご理解いただけたと思います。
今頃は先に逝った私の父と食事会でもしていることでしょう。合掌

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