2013/11/28  22:40

和田峠  中山道

中山道をすでに京都まで進んでしまったのに、僅かにこの・・・和田峠だけを残していました。京都にゴールするのを迷ったのは、この区間を先に終えたかったことも原因でした。

11月中には終えたかったのに、どうにも坐骨神経痛と膝痛が酷くてここまで手つかず。とうとう今日我慢できず、出かけてみました。

和田峠って何処?・・・長和町から下諏訪に超える・・・美ヶ原と言った方がなじみ深いかもしれませんが、そこへ続くビーナスラインを皆さんも一度は走行したことがあると思います。

私は若いころに釣りで依田川の源流等を歩いてましたから、この峠は数十回通っています。しかし・・・歩く事になるとは!!

計画としては・・・和田峠の最高点近くに【東餅屋】という、当時からの茶店があります。そこまで一旦車で自転車を運び上げ、自転車をデポしたら和田宿まで車で戻り歩き出すつもり。

ところが東餅屋に着くと雪がチラチラ落ちてくる天候。風が冷たい・・・風邪を家に持ち帰る訳にはいかず・・・迷いました。標高1.500bに近いですから、この時季当然と言えば当然。

来る途中に蓼科方向から見ても、和田峠付近は山肌が白くなっていました。
峠の入り口【男女倉口】の気温は2度でしたから、和田峠頂上は氷点下だったと思います。
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今回は和田峠を完全踏破を諦め、和田宿から取りあえず男女倉口までとして、その後の天候次第で接待茶屋までと決めました。

本陣からスタート。数年前に・・・ここの広場でUターンしようとして、背の低いポットに思いっきり激突、車を大破させてしまいました。低い車止めは見えないので要注意。保険屋に電話すると・・・免責が10万円も着いていてガッカリ。

何時もはゼロで契約していたのに、この年だけ何故10万も免責を着けたのか・・・間が悪いたらありゃしない。
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途中の大出地区で鹿が人家のゴミをあさっていました。私が近づいても全く逃げる素振り無し。可愛い顔をしているのに、厄介者で困ったものです。
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途中で相棒から電話・・・遊びに行く・・・って。今日は残念でした。どうせ完全踏破ができないなら、こんな厳しい気候条件の時に無理しなくても・・・。相棒とコタツでDVDでも良かった。

写真は今日のほぼ中間点にある【唐沢の一里塚】です。江戸から数えて51番目の一里塚です。中山道は600`ですから、この地点がほぼ3分の一踏破したことになります。雰囲気を感じてもらいたくてアップしました。中山道歩きってこんな感じです。
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男女倉口から和田宿までは自転車が勝手に下ってくれます。車に戻って昼食を摂って、今度は接待茶屋に車を置いて、自転車で男女倉口に下って歩くつもりでしたが・・・何ともハンターらしい車が10台もあちこちに駐車。

こんな日に黒のフリースと黒のパンツで歩いていると・・・【誤射】なんて、シャレにもなりません。考えると怖くなって・・・ハンターのいない時季・・・来年の春に延期しました。

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2013/11/8  19:20

歩いてこそ見える風景  中山道

先日、あまりの腰痛を我慢できずに、ブロック注射を初めて自ら希望して打ってもらいました。
どうしたことか・・・そしたら余計に痛みが増したんです。

今までなかった1時間休んでから帰るタイプ・・・ところが、その日はみんなが1時間休んで帰るタイプのブロック注射・・・変でしょう。

患者さんの症状に応じて変わるなら納得できますが、今までは全員が30分休んで帰るタイプなのにこの日は違いました。

まあ・・・面倒見て貰ってますからこれ以上は言いませんが・・・経営的な視点からの治療のような気がするのは、私が穿った見方をしすぎるのでしょうか。

治っていれば言わなかったかもしれませんが、痛みが増したので【坊主憎けりゃ袈裟まで】って感じでしょうか。

今日はとうとう両膝にヒアルロン酸を打ちました。とにかく注射の好きな先生なんです。薬も山の様に出ますし・・・。年内は我慢して通ってみますが、腰や膝の痛みが取れなかったら通院はストップです。

さて今日は歩いてこそ見えてくる風景を取り上げてみました。面白いか、つまらないかは個人個人の感性ですから・・・面白いと良いんですけど

栗東市にあった水路の分水です。同じようなものを甲斐大泉で見たことがあります。それは水争いを防ぐために武田信玄が考案した・・・と言うものでしたが、これも歴史的な重要性を感じます。
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単に片づけられない症候群の方が住んでいるだけ・・・とは思えず、かなりの芸術性を感じるアート・・・に見えませんか?  大津市でみつけました。
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滋賀県の県庁庁舎です。昭和14年に建築されました。いまだに現役で活躍している県庁庁舎としては最古のものですから・・・凄い。良く解りませんけどロココ調なんだそうです。

会津若松市役所の庁舎も昭和11年に建築され、今もって現役で活躍しています。もったいなくて現代風のビルなんかにしたくないですね。まだまだ大切に使われるのを見続けたい気がします。
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街角にひっそり・・・こんな碑にどれだけの人が気付くでしょうか?   ロシア皇太子、のちのニコライ二世が警備の警察官【津田三蔵】に切り付けられた、大津事件を歴史にとどめる小さな碑です。

碑は小さいですが・・・当時の日本とロシアでは国力に大きな差があり、報復に戦々恐々とした中で日本の司法の独立を守り通した大きな意義を刻んだ碑です。
しかし場所は確定できずに、『このあたりで・・・』という表記になっています。
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2013/11/7  22:53

歴史の舞台  中山道

京都は幾多の歴史の舞台になってきたところ・・・近づくにつれて史跡がそれを証明してくれます。たとえば・・・。

昨日の亀の門がある【義仲寺】。平家を追悼した木曽義仲が、同じ源氏一門の義経らに討たれて葬られた場所でした。側室の巴御前が移り住んで庵を結んだと言われています。

その無名庵に後年、松尾芭蕉が長く逗留していました。亡くなったのは大阪ですが、弟子たちに遺言で『木曽殿の隣に葬ってくれ』と託していたとか。

弟子たちは遺言通り義仲寺に芭蕉を葬ったのですが・・・又玄は【木曽殿と背中合わせの寒さかな】と詠んでいます。何だか又玄の心中は・・・芭蕉の思いとは違う気がします。

不思議なのは・・・なぜ芭蕉は数百年も時が経ち接点のない義仲の隣で眠りたかったのでしょう?

諸説ありますが・・・芭蕉は義仲の人間性が好きだったのは間違いなく、具体には【滅びゆく美学】みたいなものを感じていたのでは?

正直で豪胆なだけの義仲は、権謀術数にたけた頼朝の前には赤子。簡単にひねりつぶされ歴史の舞台から消えて行きました。でもそんな義仲が・・・江戸時代後半までは人気絶大だったそうです。

芭蕉も多くの江戸っ子も謀略で天下人になった頼朝よりも、歴史から消えて行った義仲に哀れを感じていたのでしょう。そんな美学を日本人は好みますから。

真田幸村・土方歳三・大石内蔵助・河井継之助・・・勝利者ではないのに未だに多くの日本人に愛されている人物達。私もどっちかというと、そんな美学を抱く人間なんです。

だから・・・こんな話がゴロゴロ転がっている歴史の中心となった京滋・・・本当に楽しく歩いてきました。妻の足は三条大橋まで何とかもってくれました。

詳しくはホームページの【中山道】のコンテンツでお楽しみください。写真は義仲寺です。この門の屋根瓦が昨日の写真です。
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写真をクリックすると、説明版を大きくしてご覧いただけます。
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2013/11/6  19:36

ゆっくり流れる時間  中山道

まず・・・祝福のコメントを頂いた皆さん、ありがとうございました。

日本橋を出発した時はまだ現役時代で、その当時の部下が『あの当時の話を思い出した』というコメントを寄せてくれて・・・めっちゃクチャ嬉しいです。

この記録も何時かは寄せられたコメントの様に、仲間達の思い出を紡ぐ【タイムカプセル】になる事を願っています。

素人氏が今日、柿と野菜と苗を持って遊びに来てくれました。サニーレタスや水菜を畑に植えたら、ますます畑らしくなりました。ぜえーんぶ貰った苗ですけど、植え終わった状態だけを見れば立派に畑・・・です。

ひょっとして・・・相棒も寄ってくれるかなーーと期待していたのですが、どこか遠くで仕事だったようです。この相棒『よく飽きずに7年間頑張ったね!』って。

飽きずに・・・傍から見れば確かにそうかもしれませんが、終わってみると・・・飽きるどころかまだまだ引っ張って歩いていたい。

実にスローな時間だった気がします。今までアクセクした時間の旅行だけだったのが、大変な損をした感じです。

大病あり・・・の、身内の不幸あり・・・大変な7年間でしたが、語弊がありますが充実した時間だった気がします。ゆっくりたっぷり楽しめた7年間だったと思います。

車で通りすぎるだけでは気づくことが無かった世界を、沢山、たくさん、タクサーン吸収しました。スローでなければ私の人生でない・・・。

屋根の上にこんなものを発見しました。歩いていないと無理でしょう、こんな画像は。妻には『だから足の骨を折るのよ!』と怒られますけど、こんな発見が楽しいんです。

大津の義仲寺の鬼瓦です。面白いのは左端の【亀】。怖いのは鬼瓦だけでなく、亀も目を吊り上げて怒っています。
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亀は【玄武】と言われ、方向的には【北】を表し、色では【黒】を意味しています。ですから私の想像ですがこの門は【北面】だと思うのです。

大相撲の放送で『黒房(くろぶさ)下に寄り切りました』なんてアナウンサーが言っています。あれは北なんです。ちなみに【白虎】や【青竜】・・・なども聞いたことがあると思います。青は東を表し陽の登る方向なので勢いのある登り竜、季節は春を意味しています。

だから人生の・・・勢いがあって、日が昇るような時期を【青春】と呼ぶんだそうです。長くなりましたが、そのために北のこの場所に【亀】が置かれていたのではないか。

こんな事を考えて楽しんでいるから、側溝に落ちて骨折したのかもしれません。

ついでにこんなのはどうでしょう。戦う仏様ですからお不動様か毘沙門天様、愛染明王様・・・のようですが、邪気を払うために祭られているようです。
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この仏様も剣を持っていますから戦いを象徴する仏様ですが、確り守ってくれそうですね。
ゆっくりの旅・・・が楽しそうだ・・・と思えましたか?  そう思っていただけたら、嬉しいのですが。
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タグ: 鬼瓦 白虎 青竜

2013/11/5  23:58

虚脱感?  中山道

虚脱感なのか・・・単に身体中が辛くてモチベーションが下がっているだけなのか、ホームページに中山道踏破をアップする気力も失せています。

結局、何も手に付きませんでした。DVDを観ていても・・・いつの間にか転寝(うたたね)でドラマの内容はすっかり飛んでしまって。

もう少しゆっくり時間を置いてから、動き始める事にします。

今回のベースキャンプにした道の駅【あぐりの郷栗東】。事前の調べではパン工房やら豆腐工房、餅も食べさせてくれると言うので、食事はここで調達しようと期待していたんです。餅やパンが大好きな私としては、持って来いのキャンプサイトでした・・・が。

何も用意していなかったので翌日分の食事として、かやくごはんとぼた餅を頼んでおいて中山道を歩いたのでした。

この時点でかやくごはんは味が無く、餅工房は餅を作っておらずひょっとして期待に反するものかも・・・・と、予約した事を後悔し始めたのでした。

早速食べてみたパンは変哲のないものでしたし、予想通り翌日中山道から戻って受け取った品々は欲求不満になるのに十分なレベルでした。

ホームページにあったことを真に受けて失敗しました。スーパーで惣菜を買って来た方が良かった。

それでも道の駅の規模はコンパクトで、夜間の駐車場は静かで快適でした。新幹線が脇を通っていますので日付が変わるころまで、音が気になる方は辛いかもしれません。

ここは友人ホロホロ3世が本州に来たときに必ず寄る道の駅。ブログ等で目にしていたので、馴染みがあって懐かしさはプラスのポイント。

車に息子を置いたまま守山駅を利用していたので、駐車場を利用する車の台数が少ない事や、駅まで2キロ弱と言う微妙な距離も歩くのにはOKでした。

我が家が旅をするのに道の駅は、欠かせない重要な条件です。しかし最近は道の駅が宿泊させない事も出てきたと言うので驚いています。

別料金を取って止めさせるとの事。誰が考えるんでしょう、そんなこと。確かに何日も停滞している私みたいなのがいて、駐車スペースを占有していますからね。

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